2011/04/24

3K(近況 期待 金欠)

【近況】
我々CellGameは、最近精力的に動いております。

このバンドの方向と言うか、今後の活動内容等の僕らの地盤になるのがこの時期の動きなのかなー、って感じてます。

あと、個人的な話だけど、何だか本当に仲間って良いなって、単純に思います。

【期待】
今現在CellGameが取り組んでいる事がいくつかあるんですが、自分達も楽しみにしていますが、ご期待ください。

ライブも来月には出来そうなのでまたお知らせします。
ご期待ください。

【金欠】
単に僕が金欠で、大変だけど頑張ろうぜ金欠のみんな!
と言いたかっただけです。失礼しました。


carl

2011/04/11

生かされた者

3.11

あの時、僕は仕事中だった
外に出ると、人と人とが身を寄せ合い、揺れる建物を見ながら、割れるガラスの音と交差するように悲鳴を挙げ、必死に何処かに逃げる人々でごった返していた

あの時直感的に誰もが思ったはず

仙台の終わり
宮城の終わり


案の定余震が続きはしたが揺れは収まり始め、人は携帯を片手にそれぞれの連絡を取ろうと何回も電話やメールを打つ
全く通じない

何故か寒くなってくる
大雪が降ってきた
忘れもしないあの感覚
『恐怖』だった
後にすぐに晴天になる
本当に怖かったあの異常気象は
この世の終わりかと思った

自分は奇跡的に姉から電話がきて、家族の安否はその日すぐに確認できた
実家が塩釜だったが
割と高台に位置していたので、それ程心配はしていなかった

数日が過ぎやっとまた姉と連絡が取れ、母が精神的に滅入ってるとわかった

母の実家が名取
仙台空港の近く

連日繰り返し流れる被害直後のTV

あんなの誰でも良くない想像をかき立てられるに決まってる

元々精神的に弱く、持病もあった母なので、どうにかなってもおかしくはないと分かっていた
僕は友人の力を借りて名取へ向かった

あの時は本当にありがとう

道中車内から見た町並みは忘れません

母の実家の周りはヘドロだらけ
壊れた車も崩れた家もヘドロの一部と化していた

到着し、一階全てが浸水、新築だった為か家が流されてはいなかった

しかし自衛隊の人以外、一般人がどこにも見当たらない

塩釜に帰り、『ごめん、誰も見つけらんなかった。』
なんて絶対言えない

でも、こういう時に人は悪い方を最初に頭に浮かばせる
今回で何となくその心理がわかった気がした
何となくでしかないけど

結果は皆無事だった

エアリ近くの住宅街 の知人宅に避難していた

婆ちゃんや母の姉は、僕を見るなり僕の名前を叫び、『何でこんなとこいるの!?塩釜は大丈夫なの!?早く上がりなさい!お菓子しかないんだけどね!あはははは!』

その表情、一生忘れない

どんな思いでこんな事言ってるか
下半身は泥だらけ
怖い顔
たまに見せる魂を抜き取られた様な表情

ただただ怖かった

家族の無事を伝え、すぐ仙台に帰った
(後にまた訪れ、作業を手伝いに来るが)

ここからは状況が大分落ち着き、失われていた物や環境が戻りつつあった

これを書く目的は、忘れない為とか、誰かに同情して欲しいとか、そういった事では無く

これから自分達は前に進むという意識の元に

忘れちゃいけないとか、忘れないようにとか、最近よく耳に入るけど、忘れる訳がないでしょ
と、思う

理屈的に文にして表現するのが嫌いだし、苦手だし


ただ、
今回の事で自分達が『経験』に出来るかどうか

状況や環境が悲しみや苦しみしか遺らなかった人達なんて自分の知り合いだけでも何人も居る

糧にしなきゃいけない
生かされた者は


TWITTERやMIXI、FACEBOOK等のSNSがどれ程の速さで情報を共有出来たか

自分はどちらかと言えば正直SNSなんか糞喰らえ派だったが
ネットワークの本当の強さも知れたし、怖さも知れた

自分は身近な人間や家族の事で手一杯になってしまい
広い範囲で人の為になる事はできなかった

僕の周りの人達は、それを積極的に行動している人が多く
本当に頼もしく、誇らしかった


避難所で会った赤ちゃん、犬や猫にどれだけ心を癒されたか

避難所のトイレで相席した中年の男性の顔と言葉
『流されちまったよ全部・・。逃げてこれただけマシだわな・・。』

家族が生きているという安心感

親の世代の経験の豊富さと、心構え

身近な人達の行動力と、横の繋がりの強さ

遠方にいる友人の心配の声

育った町、遊んだ町、元々の風景がわからない町の荒れ果てた姿

一生忘れる事はありません


CellGameの今後の展開は、より楽しく、より面白くしていきたいです

個人としても出来る範囲で動いて行きたい


僕らは生かされたんだからね


carl